プライバシーは最近の贅沢だ。
約30万年前に登場してから、私たちホモサピエンスは、自分たちの上に積み重なるように生き、死んできた。更新世の洞窟から現代のティーンエイジャーがバタンと閉める自室のドアが到来するまで、人類はたいてい集団の中で、胎内に宿り、生まれ、眠り、食べ、排便し、議論し、涙し、踊り、殺され、働き、空想にふけってきた。こうした活動をひとりでしてきたのは、王たちと、霊力をもつとされたような風変わりな人たちだけだ。
こんにちにおいても、世界を歩いて旅していると、状況は同じようなものだ。
ずっと歩き続ける生活を想像してみてほしい。毎日公共の場所、農道、街角、市場、公園、歩道、幹線道路で、見知らぬ誰かに見られながら過ごす。世界という舞台で、さすらう役になる。人々が苦労しつつも十分な余裕はある(でも壁や柵を建てられるほどではない)、地球上でも最高に素敵な街角では、こうして人目につき続けると、長い区間におよんで親切な接待を受けることもある。例えば心優しいジョージアを42日間かけて歩いたとき、私はほとんど毎日のように村々の家に招かれた。ただ客として過ごすのも、心のエネルギーを消費する。なので、前後左右どこを見てもまっさらな壁で、ひとり静かにいるという環境は、ときにありがたい恵みだ。そこに、日本の平凡なインターネットカフェの美点がある。
インターネットカフェと言っても、昔とは違う。
無制限のWi-Fiや、オンラインゲームのできる大きな機器だけでなく、日本のインターネットカフェには温かいシャワーと洗濯機がある。飲み物やソフトクリーム、ときにはスープも無料で飲み放題、食べ放題だ。漫画好きの人のために、壁には膨大な冊数が並んでいる。そして何よりいいのが、個室だ。長い通路に並んだクローゼットのような扉には鍵がかかり、まゆのような個人の空間が得られる。そこには片肘がつけるくらいの机がある。リュックを掛けるフックも。ぐたっと寄りかかれる、石棺サイズのクッションも。
こうした設備はすべて、30分単位で借りられるようになっている。想定された客は例えば、残業で終電を逃した会社員や、酔いを覚ましたい飲み会後の会社員、狭苦しいことで知られる日本の都会の部屋から逃れ、外に居場所を求める若者などだ。最近の不景気では、たくさんのいわゆる非正規雇用労働者が、安価に過ごせるインターネットカフェを住居にした。小部屋での8時間パックで、だいたい2000〜3500円ぐらいだ。
日本のインターネットカフェの個室では、世界中がすぐそこにつながっている。この小さな眠れる空間は30分単位で借りられる。
写真=ポール・サロペック
日本を横断して1500キロメートル以上歩く間、一緒に歩く仲間と私は、どちらかというと旅館に好んで泊まっている。地元らしい、家族経営の良さがある伝統的な宿だ。ただ、アスファルトの上を歩き続けるきつい一日の後、インターネットカフェで横になることもある。多くのインターネットカフェの外観は、人間味のない四角形の組み合わせだ。中に入るとたいてい薄暗く、静かで、男性が多い。そこにはどこか機械的な空気感、そしてときに孤独感が漂う。だがこの感じもすべて含めて人間だ。私は、大陸を越え、石器時代の祖先の歩いた足跡(そくせき)をたどっている。「快活CLUB」や「メディアカフェポパイ」は単に、道すがらにある、壁に影の映る洞窟のひとつなのだ。
