エチオピア・アファールのBouri Modaitu族のbalabat(首長)である60歳のAhmed Alema Hessanは、もう30年以上もラクダを扱っていない。この遊歩行は、私たち2人の過去の記憶を取り戻すところから始まった。彼は若いころ覚えた、複雑な馬具の結び付け方を思い出そうとしていた。私はというと、子供のころメキシコで覚えた、ラバに荷乗せする方法を何とかラクダにも使えないか格闘していた。この地域ではよくあることだが、砂漠のどこからともなく現れる人々が、私たちを助けてくれる。彼らは私たちのへんてこな作業の出来を笑い、荷直しをしてくれる。ほとんどがしばらくは私たちと共に歩き、つぶやきのような会話でお互いの情報を交換したのち、静かに立ち去っていく。彼らがいなくなったことを私が気付く頃には、たいてい彼らは地平線のかなたに線のように細く小さくなっている。人の住む荒野、このグレートリフトバレーでの歩き旅で、このような偶然の出会いは楽しいものだ。1時間に2~3マイルの速度でゆっくりと大地を歩む、ラクダの隊列に耳を傾けるのは、日常会話のやりとりを盗み聞きしているかのようだ。そこから聞こえる音は、独自の構文を持っている。Alemaは隊列の長と雑談をしている。私はその後ろを歩く。土埃の中からラクダたちの柔らかい足音がささやいてくる。やかんが小刻みな音を立てる。後ろをジグザグに連なってついてくる野良犬の群れは、まるで用心深く打たれ過ぎた句読点のようだ。これは、絶え間なく変わっていく文章だ。
